「トルコ国際危機管理セミナー」報告 1999‐11‐12〜13 中浜 慶和

 イスタンブールに到着した翌朝、11月10日午前9時5分。サイレンが哀悼の響きを父」と今日もなお国民から敬愛されているムスタファ・ケマル・アタチュルクが1938年のこの日、この時間にボスポラス海峡に面した“水の宮殿”ドルマバフチェで執務していた一室で亡くなった。わたしが一週間滞在するマルマラホテルの目の前にあるタクシム広場で軍楽隊が演奏する中を、ケマル・アタチュルク像が立つ独立戦争の記念碑に大きな花輪が捧げられていく。わたしはケマル・アタチュルクの偉業を偲び、合せて8月17日午前3時1分に阪神・淡路大震災(ここトルコでは、阪神も淡路も馴染みのない名前なので「神戸大震災」と呼ぶ)の約6倍のエネルギーを持ったマルマラ大地震(一方、日本ではマルマラ海は馴染みがないので「トルコ大地震」と呼ぶ)で被災した多くの人々のために祈った。

 わたしが前夜、イスタンブールのアタチュルク空港に到着したのは、国連NGOであるAMDA(アジア医師連絡協議会)国際協力調整員訓練センターからの推薦でドイツのフリードリッヒ・エーベルト財団が主催する国際セミナー「地震多発地域における危機管理」に参加するためであった。セミナーは11月12,13日の二日間にわたって、アメリカ、メキシコ、ドイツ、日本そしてトルコからそれぞれ発表を行い、質疑と討議を重ねて、今回のトルコにおける地震対策に寄与せんとするものであった。主催団体であるフリードリッヒ・エーベルト財団は、1925年に第一次大戦によって疲弊したドイツに民主主義を根づかせ、若者により高度の教育の機会を与え、戦争や紛争を防止するための国際間の理解と協調に寄与するために創設された財団である。1933年、ナチスによって活動を禁止されたが、1947年第二次大戦後再建され、今日ではその活動はドイツ国内(本部はボンにあり、690人のスタッフがいる)に止まらず、100カ国以上に及び、76カ国に拠点(もちろん、わが国にも)を設置し、予算(1994年で2億1000万ドイツマルク)の半分は730人ものスタッフを擁する発展途上国で使われている。創設者であるフリードリッヒ.エーベルトは、ワイマール共和国初代大統領である。トルコにおいてもイスタンブールに活動拠点を持ち、政治、経済、文化とその活動範囲は多岐にわたっており、今回のセミナーが活動のすべてではない。ドイツ及び国際労働運動関係図書37万冊を有する最大の図書館を持つだけあって、十指にあまるトルコ語の図書を刊行している。たったひとりの心血注いだ情熱が受け継がれて、75年のあいだに大陸を渡り、海原を越えて世界的なNPOとなった。

 会議にはトルコの緊急支援活動のエキスパート、すなわち発表者を含めて35名の参加のもとに開かれた。テーマ発表は、今回のマルマラ大地震でガレキの下から被災者を救い、最も活躍したNPOのAKUTの現状報告から始まり、次いでわたしの「阪神・淡路大震災とその後の課題」、アメリカからはオークランド緊急支援計画センターのレニー・ドミンゴ氏による「オークランドにおける緊急支援対策」とメキシコ市市民防災局ルイス・W・トレド氏による「メキシコの地震災害対策」、そしてドイツのTHWのリチャード・ファン・ハーゼブルック氏の「危機管理の実際とあるべき姿」と続き、それぞれのスピーチの後で参加者から質疑を受け、まとめを行い、すべての発表後に再度総括を行い、会議のコーディネーターをつとめたコレル・ゴイメン教授の進行による記者会見を行って二日間のセミナーを締めくくった。

 AKUTの救助活動報告は概略つぎの通りである。
 AKUT(遭難救助協会・本部=イスタンブール)はその名が示す通り、山の遭難事故に対処するために登山の愛好家たちを中心に1996年に結成されたNGOだ。スイス、アメリカ、アイルランドなどの救出隊から学び、登山に必要な設備は常備している。AKUTが地震の救助活動を行ったのは、昨年6月、トルコ南部の都市アダナで発生した地震(死者145人)が初めてで、建物が崩壊して瓦礫の下に生き埋めになっている被災者を救助することを活動の柱としている。後述するが、わたしがセミナー初日である12日夜から釘付けとなったテレビで再三見ることになる、オレンジ色の作業服を着たチームが地震発生2時間後には最も被害が大きかった都市の一つギョルジュクでは支部のメンバーが活動を開始していたという。しかし、通信が遮断され本部と連絡が取れず、独りでは十分な活動もままならず、瓦礫の下の人を救助するのに、コンクリート片を除いたり、鉄筋を切断する機材もなかった。

 イスタンブールの情報センターである本部も情報が入らないため、ことの重大さが分からず、さらに本部も資料が瓦礫の下で散逸するなど被災したために初日はイスタンブール市内の被災箇所に出向けた以外は何もできなかった。そのうちに本部にいろいろと情報が入ってきて本当の被災地はギョルジュクやヤロバであることが分かって、1日後には救援隊を組織化したが、少し遅かったし、行けても何がどれほど必要かがつかめず、本部に伝えられなかった。救助活動を申し込んできた多数のボランティアや団体をどこに送るべきか、コーディネーターがいなかったため的確な指示が出ず、交通渋滞が重なり被災現場までなかなかたどり着けず活動を遅らせる原因となった。ギョルジュクでは、救援隊が各地から来たが、軍の対策本部が二つあり、同じ本部から8、9回も、同じ場所に行けと指令が出された。多数の建物が倒壊し被災者が増大して刻々変化していくなかで組織的に動けなかった。ここで何人、あそこで何人助けるべき人がいるといった情報がタイムリーに把握できていなかった。

 AKUTは政府とも協働していていたので、直接被災者から救助依頼を受けても一人ひとりに対応できず、AKUTだけを頼りにされても無理だ。AKUTの本来の活動は生き埋めになった人を救助することであるが、さまざまな要請を受けて本来の活動に支障をきたした。
 例えば、海外から来た救援物資の配布を依頼されたがどこへ運ぶかも分からなかった。ほかの人々に配布を依頼したが、被災者にどのように手に渡ったのか不明である。被災地では、イスタンブールから医療支援が欲しかった。

 今回の大災害から得た教訓は、何よりも情報(通信)の確保である。一つの対策本部以外に、コピー(バックアップ)の本部、資料も持っておくべきだ。コンピュータの活用によって情報のバックアップを図らなければならない。また、現地(被災地)にいる救援隊は動けない。被災していない遠くの救援隊が駆けつけなければならない。そして混乱を極める被災地にあっては、ボランティアや救援団体をコーディネートする組織が不可欠だ。
 情報と連絡が確かでないと、無駄が多い。たとえば、被災者の一人が20万人にE−mailを送ると、トラック1台分の救援物資がその人のところに行ってしまい、役立たない。
たとえ40人のメンバーが、市民20人に一人ずつ就いただけでは、付け焼き刃的で役立たない。ボランティアは大学生が適している。今回の大震災で何をしてよいか分からなかっただろうが、緊急対策本部で多くを学んだと思う。教育システムに取り込んだ方がよい。そして、今後のために、予備知識をマニュアル化すべきだ。
次いで私が震災直後の対応よりは、今後の地震に備えるために市民としての震災自衛に関する課題について、神戸大地震(トルコではそう呼ぶ)での被災状況の写真十数枚と 種類のデータ・資料を提示しながら述べた。

1. あれほどの大災害をもたらした神戸大地震(1995年1月17日午前5時46分)であったが、4年半を経過してくる  と、市民の意識は薄れ、対策もおろそかになっている。それは人間は忘れる能力を持っているからで、特に嫌なことは  早く忘れてしまいたいと思う。このこと自体は人として健康な証拠であろうが、忘れずに頭の片隅で良いから覚えておく  べきこともある。そのひとつが大地震に対する備えだ。また、一日単位や一週間、長くて一年単位といった人間のリズム と数十年あるいは数千年に一度の大地震のリズムが合致しないために、私たちはその恐ろしさを忘れてしまう。さらに誤 った大地震対策のために、忘れること著しいのではないか。日本での総務庁による国民の意識調査(1998年9月の )では、地震対策で具体的に実行したことは、懐中電灯や携帯ラジオ、医薬品を備えている人が6割、次いで風呂の 水のため置きや貴重品などの置き場所を決めているといった内容が2割程度になっているが、それらは命が助かってか ら後の対策ではないか。私たちは身の周りのものすべてを守ろうとするから、結局肝心なものを救えないことになる。
 本当の対策は、決して失いたくないもの、どうしても救わなければならないものを守り通す厳しい覚悟から始まる。それ はあなたの命であり、愛する家族の命であろう。それにはなによりもいま、あなたや家族がいる場所の安全、建物の安 全こそ最優先課題である。耐震診断を行い、必要な改修を行うという準備こそ不可欠である。

2.市民である私たちは、自然災害のような対策は自分たちより強い政府や企業、団体がとってくれるもの、私たちを救 ってくれるものと思い勝ちではないだろうか。神戸大地震では6500人もの命が奪われたが、その9割は圧死であり、そ  のうち6割の人が午前6時までのわずか14分の間に亡くなっている。この厳しい現実を直視しなければならない。
 だれがあなたやあなたが愛する家族の命を救ってくれるのか、軍だろうか、消防だろうか、警察や自治体の職員だろうか 。被災地にあっては彼らも被災者である。神戸大地震では10数秒、マルマラ大地震では40数秒間の大きな揺れに 耐えなければならない。自らを頼むしかないではないか。あるいは自分の家族、次いですぐに駆けつけてもらえる近隣の 人たちでしかないではないか。自らの命は自らが守るという自助努力、極めて明白な課題に対応しなければならない。 ちなみに今回のマルマラ大地震でも「1000体以上の遺体が搬入された国立イズミト病院によると、死者の9割以上 は、倒壊したコンクリート天井や壁が頭や全身を強打したための圧死だった。(中略)国立イスタンブール大学病院でも 同様の集計だという」(毎日新聞8月24日夕刊)。命が助かってからの対策については、なかにはトルコの実情と合わ ないものもあるかもしれないが、添付資料で25ヵ条(略)にまとめて掲出してあるので、それを参考として頂きたい。大 き な揺れが収まってから2、3日間はどこからも援助が来ないものと、事前の備えを怠ってはならない。対策の中で重 要なことはやはり情報である。特に家族の安否確認は、一般市民であれ兵士や行政の職員であれ、いかなる人にとっ ても最も重要な課題である。日本では1998年3月末にNTTによって災害伝言ダイヤル「171」が開発された。これ  は電話をかける側が30秒間自分の声を全国50ヵ所に配備された伝言蓄積装置(800万の伝言を収容できる)に 2日間蓄え、受け手はどこの電話からでも聞くことができるシステムで、広域災害発生時には最も威力を発揮するもの と期待されている。食糧や水について触れると、口に入れるものに気を配るより、下から出るものに気をつけるべきだ。  真夏の衛生状態を考えればよく分かる。簡易トイレが配置されるまでは、黒いビニールシートと古新聞紙が大いに役  立つかもしれない。

3.市民は最も弱い存在であるので、いかに自助努力に努めても、限界がある。2、3日が経過してから、軍や警察、  消防や自治体、企業、国内外の緊急援助団体などから手が差し伸べられるようになるだろう。しかし、いかなる組織  にも限界がある。自らの限界を知らない組織は役に立たない。互いの限界を開示し合ってこそ、そこから強固な防災  対策が生まれ、市民が救われるチャンスが増えることになる。そのためには、大地震に見舞われるまでに市民、行政、 企業、ボランティア団体など関係者一同がテーブルに就いて、お互いの顔を見せながら話し合うことから始めなければ  ならない。そこから互いに限界を知り、知らされ、それでこそ補完し合う関係と協調が生まれてくる。互いの顔を知らな  ければ、その活動の隙間で対応が遅れ、市民は傷つき、命を失って、再び同じ悲劇を繰り返すことになるだろう。

4.大きな災害やパニックは不知から生じる。神戸では大地震についての警告がほとんど市民に知らされていなかった。  神戸市民は毎年といっていいほどやってくる台風の備えは行っていたが、地震の備えはしてこなかった。専門家は伝えた といっていたが、市民のレベルにまでその声は伝わっていなかった。市民への情報開示が求められる。市民である私たち は、自らを知識で武装しなければならない。そこから対策や生き延びるチャンスが生れるし、諦めもつく。私たちは日   々科学の恩恵を受けて快適な生活を送っているが、それはブラックボックスに取り囲まれていることでもある。日本では 時速200`を超える新幹線が走っているが、万一直下型大地震に幹線が襲われたらどのような惨事を招くか。
 トルコにも高速道路があるが、神戸大地震では高速道路が崩壊したが、1時間ほど後であれば自家用車の通勤ラッ シュでどのような光景が展開されたか。都会の高い建物から看板や窓ガラスや壁の一部が落ちてこないのだろうか。東 京では約1割のビルから建物の付属物やガラスなどが飛散し落下してくると想定している。高層ビルのエレベータはどの ような仕組みになっているのだろうか。電気や水やガスの供給は復旧についてはどうだろうか。
  トルコの建物は鉄筋コンクリートや石造りであるから、火災の心配は比較的少ないだろうが、火事についての知識は どうだろうか。日本では地震がきたらまず火を消せといわれてきたが、大地震ではその知識は危険である。マルマラ大地 震や神戸大震災のような大きな揺れの時は、体が恐怖で動かず火を消すことなど叶わない。無理をすれば鍋をひっく り返したり、油を浴びたりしてかえって危険である。大きな揺れが収まってから落ち着いて火を消せばよい。日本の木造 のような家屋であっても、手が付けられなくなるほど危険な状態に火災が燃え上がるには3、4分かかる。10秒から40 秒、大きな揺れが収まってからでも遅くない。慌てることこそ危険だ。命にかかわる問題にもうひとつ触れると、呼吸が停 止 して3分後までに人工呼吸を施せば75%以上の人が蘇生する可能性があり、4分では50%、5分後では25  %と低下し、10分後ではほとんどが助からないという(ドリンカー救命曲線による)。市民が応急手当や人工呼吸法な どを体得しておくことは大きな意義を持つ。学校教育や市民啓蒙で自らと周りの命を救うことにつながる。

5.復興から学ぶことも重要な課題である。復興は次の災害防止につながるからである。神戸大震災からほぼ5年にな ろうとしているが、神戸の復興は完全に終わっていない。多くの統計指数を見ると全国平均より低く、遅れている。人  口は4万人ほどが戻っておらず、地元の産業や小売店の売上高は元に戻っていない。不況と相俟って、失業率は全  国平均より高い。観光客数も震災前に戻っていない。行政を中心にした適切な市民生活支援が鍵を握ることになる 。弱者はもとより復興に元気を出すべき働き盛りの階層の人たちへの支援が欠かせないはずだ。トルコでは3世代が一 緒に住むなど家族が多く、懸念は少ないかもしれないが、神戸大震災は孤独死という深刻な問題も生じた。高齢者 や子どもを中心にした、心のケアの問題は目に見えにくいだけに深刻であり、長期にわたる課題である。震災のショック から来るPTSD(心的外傷後ストレス障害)に対する社会的な関心が高まり、専門医の指導によって子供たちや高齢 者の心の問題に取り組んでいる一般市民たちもいる。
 物質的な被害は、時間と金銭で解決するが、心のケアには、長い時間と「あなたのそばに、わたしがいますよ」という心 を通わせる人が必要である。災害は長い戦いである。アジアの西の端にあるトルコと、西の端にある神戸で被災した私 たちが、共に大地震の困難を克服して今まで以上に厚い友情で結ばれますように。
 
 続いて米国オークランドから以下の発表が行われた。
 1989年カリフォルニア大地震が発生したが、現在でも復旧は完全に終わっていないといえる。それは、災害復興計  画以外に、以前からの種々の社会的問題を抱えており、その上に大地震が起こったからである。主として経済的問題 が重くのしかかった。発生直後は緊急対応ができず、その反省に立って同年FEMAが発足した。専門家による対策が 図られ、社会の一員である企業もイニシアティブを取って、支援活動を行っている。一つひとつの支援グループをオルガナイズする連帯も生れている。10分後には消防など駆けつけることができるし、瓦礫の下からの救出と病院への連携 がなされるようになった。FEMAは24時間開いていて、市民のために地震や火災などの災害対策のみならず、防犯対策などの実践的活動も行っている。

 組織内の連携も必要だ。一人ひとりが戦士であり、義務感を持たせている。直接的な活動以外に、判断して指示を 与える部隊も必要だ。法的な整備や教会などで一般市民への教育を行うなどの環境整備も欠かせない。

 一方、オークランドでは、92,3年当時の行政システムでは、市民が火災で支援活動がとりにくい構図になっていたため、緊急対策本部を急いで作った。個人でできることをまず最初に行うべきだとの観点に立って、防災に強いまちづくりに努 てきた。市民投票で必要な資金を集め、支援活動を図った。災害対策には法的規制が求められるために、50もの  団体がそのための組織強化を図った。災害には組織的支援が不可欠である。

 新しい技術の導入も図ってきている。特に災害対策には、遠隔地にも情報システムを設置することが必要であるため、 ISなど衛星通信システムを使った新しいシステムを導入するために、大学関係機関などからの支援を受けて構築が進 められている。

 災害防止には、24時間体制が秘訣だ。FEMAはオークランドを中心にして、全国ネットを持ち、ボランティア全員で全費用を賄っている。27のグループに分かれており、各グループには専門家が存在し、適切な人材を選んで全国から送る体制を取っている。FEMAは、ホワイトハウスと連携も諮っているため、FEMAが力不足の災害時には、FEMAよりホワイトハウスに依頼が行き、政府からの専門家派遣の支援を受けることもできる。国内のみならず国際支援活動も行っており、地震、火事、洪水等などあらゆる災害を対象としている。FEMAには申請さえすれば、一定の調査の上で、誰でも参加することができる。

 オークランドでは、市民一人ひとりの防災教育の強化が求められたことから、2年前に新しい市民組織が生まれ、ひとつのプログラムを作った。100万ドルの教育資金が必要だったが、なんと400万ドルが市民からの募金として集まった。自治体からは専門家派遣のために援助金が出される。こういった取組みで、市民30万人中20万人がプログラムを受けることができた。残りの遠隔地の人々へのプログラムは赤十字が分担している。市民が最初に動いたことで、教育の成果は大きく上がってきているといえる。
初日の最後に、メキシコのルイス・W・トレド氏(Luis Wintergerst Toledo)から次のような講演が行われた。
 
 フリードリッヒ・エーベルト財団と提携している。
 メキシコでは1985年9月19日の大地震(M8.1、死者9500人以上、メキシコシティでは400以上のビルが倒壊)以降もたびたび大きな地震が起こっている(1986年4月<M7.0>、89年4月<M7.1>、93年9月<M7.3>、95年9月<M7.2>、同年10月<M7.4>など)。地震以外でも、先月(99年10月)の豪雨(72時間降雨、洪水)では復旧に3日かかった。噴火も経験した。町から6`離れた山(1982年、エルチチョン)だった。災害のたびに組織的支援を行ったが、充分に活動できなかった。

 85年の大地震では、1500の建物が壊され、震災後、耐震診断を行い、277のビルが危険と診断された。50ほどのビルは崩壊しなかったが、取り壊しもできなかった。
所有者が障害となった。政府より見舞金が出なかったので、壊すこともできなかったためである。大地震の経験から、メキシコでは今日、危険度の高い地域はマップ化されている。耐震基準法はすでに1980年から制定されている。

 メキシコシティには、121の避難所が準備されていて、7000人が収容可能である。今後の課題は、被災地に救援に駆けつけてくるチームをいかにまとめるかであり、現在それに取り組んでいる。地震が起こるたびにまとまってきている。地震が発生して初めて学ぶことができる。地震のないときに防災のための組織化を図ろうとしても、市民からの理解はなかなか得られにくく、意識も低いのが現実である。

 各国からの講演が終わるたびに質疑と総括が行われ、初日の日程を終了した。そして、その夜、午後6時57分、再び大きな地震がトルコを襲った。イスタンブールにいるわたしも、トルコの地震を直接体験することになったが、詳細は後述する。
 翌朝、ドイツのTWHのハーゼブルック氏の講演があった。
 冒頭、ハーゼブルック氏は、昨夕の大地震に対応するため、国連からの連絡で自分が救援隊長に任命されたこと、そして、地震発生から3時間後に、ドイツの一つの救助隊(SEEBA)が12日19時出発し、まもなくトルコに到着することを報告した。トルコ航空が無料でドイツに1機チャーターした。THWは、イスラエル、アメリカ、ヨーロッパ各国と連携している。20カ国、1000人がトルコにやってくるはずだ。救援隊に現場情報を伝えるのが今回の自分の役目だ。
 TWHは、政府の団体で、救援ボランティア44000人、810の技術、特殊車両や、機材も所有している。国際的活動が中心で、災害、人災(戦争時の人道的援助)に対する救助、支援を行っている。活動はわれわれ一つのチームだけでなく、他国のチームとも連携をとりながら迅速で最適な活動を展開している。4万人のボランティアの上に専門家がついており、十分な訓練と適切な指示を与えるようになっている。機材は政府の援助を受けて充実化に努めている。活動は年々活発化しているといえる。

 一方、国連の救援組織にUNDACTがある。緊急事態への対応が任務で、「国内」「国外」「ON SITE」の3つのレベルのコーディネーションを行っている。UNDACは国際災害にも支援を行っており、国連に登録されているNGOは相互に連携を取り合って活動を展開している。UNDACは、経験のある専門家に対し、一人当たり1000ドルの報酬を国連で支払う。現在、147の国に支部がある。今回のマルマラ大地震では、UNDACの役割は、本部オフィスを作り、現地にやってくる救助・救援隊へ情報を提供すること(コーディネーション)が中心であった。災害地域が非常に広範囲であったので、救助活動は困難を極めた。
 AKUTに対しては、各地に拠点を作るべきだと提案したい。救助・救援活動には、何よりもまず現場に赴き、必要な判断を行い、それに基づいて具体的な行動をとるべきだ。例えば、金が20万ドル必要というときに、何に使うかをはっきりとさせるべきだ。ただ闇雲に資金を提供しても、それが生かされるとは限らない。マルマラ大地震では、TWHは、現地にテントを設営し、本部を置いた。自分たちの目で確かめながらの活動であったので、現地にないものを提供できたと自負している。

 今後は、トルコが新しいチーム(NPOやNGO)を作る場合に必要な手助けをしたい。
 われわれは50年の歴史があるから、要望があればいつでも支援ができる。教育者のためのセミナーがある。軍やメディアで働いている人が適しているのだろうが、教育者を養成すれば、そこからリーダーを養成することができる。活動は教育にかかっているといえる。しかし、それを身につけるには時間を要する。
海外でリーダーとしてコーディネートするためには、その国の組織との協力が不可欠である。今回の地震では、義務を果たすべき人も被災したし、経験もなかった。国際的なシステムが必要ということになる。
 大地震では完璧な活動は期待できない。実に多くの問題が一度に発生するからである。
トルコでは、今回のような大災害に対応するための教育と経験もない人が行政を行っていた。各国から好意的な救援隊が駆けつけたが、しっかりしたコーディネーターがいなかったため、十分に機能したとはいい難い。今回の地震はトルコにとって大きな経験であった。
今回の地震から学ばなければ、同じ繰り返しになる。もちろん、条件は同じではないので、過去の災害から万全の対応が取れるという考えは通らない。地震だけでなく、津波、暴風も起こりうる。常に、毎回、難しい問題が起こる。従って、事前の防災対策が不可欠であるが、そのためには市町や県庁の長たる者は、災害に対応する訓練を受けるべきだ。

 8月のマルマラ大地震に比べて、今回(昨夕の大地震)はトルコはより真剣に対応している。緊張感もあり、すぐに行動が取れているのではないか。現時点では、拍手をする段階ではないかも知れないが、わたしは拍手したい気持ちでいる。
 講演を終えたハーゼブルック氏は、直ちに今回の被災地に向かっていった。コーディネーターの教授によると、昨夕の地震の被害は、現在のところ121人の死者、負傷者1000人、124棟が全壊(前回の地震で損壊していた建物も含めて)。今回の初期活動は早かった模様。避難民は、前回のプレハブに避難している。ヘリコプターが、照明器具、救援物資を
持って、昨夜出発した。火災はすべて初期段階で消火できた。通信はそれほど支障はなかった。情報交換も出来ている。現在(13日朝)は停電、電話も支障が出ている。マルマラ大地震の被災で高い授業料を払って、学ぶことが出来た。現場からの情報を待っていては遅い。震災支援は直後から始まり、1〜2日のうちに組織化されなければならない。直後は被災者がボランティアになる。

 その後、総括が行われた。
 今回の会議は、将来の被災を少なくする目的を持って開かれた。マルマラ大地震は、非常に広範囲に被害をもたらした。通信の麻痺により情報が入らず、実態がつかめなかったために救助活動が遅れた。経験がなかったため、対策本部にも危機感がなかった。さらに情報の錯誤によって、活動が混乱し、時間を無駄に使ってしまった。支援にもばらつきが
生じた。
 瓦礫からの救出は2,3日が最も重要である。救出には器材や施設が必要だ。特に通信、情報が欠かせない。情報を集中させて、コントロールする必要がある。バラバラであったために、対策の間違いにつながった。メディアは、政府批判に終始するなど、誤った情報で、信頼を失った。国営放送のみが正しい情報を伝えうる。(トルコにはテレビ、新聞、ラジオ共に、数においては日本以上であるが、それぞれに政党、宗教、大企業など種々の団体がスポンサーとしてついており、自らに不利なニュースは扱わない傾向があり、今回の大地震に関してうわさや検証がなされないままの報道や政府批判に徹しただけの報道などがなされ、市民の間に徒な不安やパニックを引き起こしたという。セミナーにおいて、国営放送に情報を絞るべきだというトルコ側の提案に対し、アメリカとトルコの間でディベートが行われた。わたしは事前にトルコのマスコミ事情を知っていたので、トルコ側が言うように緊急事態に際しては現状では、情報の一元化を図らざるを得ないと考える)。
以下に、述べられた要点を列挙する。
・ 市民による防衛を重視しなければならない。
・ 広範囲の被害には外部からの支援が急務である。
・ これからの対策には、法的な対策も必要である。
・ 被災地は遠いところと連携を図るべきである。
・ 個人のボランティアと一つひとつの救援隊(グループ)をコーディネートする必要がある。そして、政府の支援活動にまで 結び付ける必要がある。
・ 防災としては、実践的な訓練も必要である。緊急活動のための教育システムが不可欠だ。
・ 地震以外の災害にも備えるべきである。
・ 神戸大震災からも、2,3日までに緊急対策が必要であることが判った。組織的な支援隊が来るまで、市民自身による救援活動が必要で、市民、企業、ボランティア団体、政府それぞれの立場での教育システムが必要である。
・ 日本の災害伝言ダイヤルシステムを参考としたい。
・ 地震に対する防災備蓄を忘れがちだ。
・ 地域にある区役所的なものがあるので、活性化して、利用する必要がある。
・ 必要な設備を設置しておくべきだ。
・ 国営放送に限って報道を活用すべきである。ただ流しているだけでは意味がない。
・ メディアの活用は重要である。国営放送一つに絞ることはどうだろうか。
・ 神戸での経験で、ラジオの重要性を強調しておきたい。テレビは被災地以外向けに適し、ラジオは被災地向けに適している。停電ではテレビは見ることができないからだ。
・ 不安を取り除き、勇気づけ。アナウンサーの声が大きな慰めとなる。生活情報(食糧、医療、トイレなど等)。
・ 建築学のスペシャリストの協力を得て、地震に強い建物を作る。
・ マニュアルを作る必要がある。
・ AKUTは人命の救助に限って行動してきた。義務もない活動なのに、すべての責任をAKUTに押し付けたのは誤  りだ。
・ 情報の偏在による二次災害。
・ 簡単に勝手な情報を流した。トルコにはメディアが多すぎる。
・ 地震の後、さまざまなメディアの悪い点が判ったので、法的に道徳的な規範を設ける必要があるかもしれない。よいメディアは、小さなことから全体を把握できるメディアである。
・ 心のケア、人を力づけるようなことも大切だ。
・ ボランティアによる心のケアが大事で、週に3つのグループが心理的な方法で、トラウマに対する処置を行っている。市民教育を強化する必要がある。
・ トルコには人材がある。被災地は経済の中心地であった。
・ 防災対策本部は一つにまとめる必要がある。勝手な判断は誤った行動につながる。
・ 5ヶ所ほどの支部を作って助け合うのがよい。
・ しっかりした組織が必要だ。研究所、大学、政府、市民防衛組織(ボランティア団体)が結び合わなければならない。
・ 昨日の地震でも以前の建物でひびが入った建物が倒れた。耐震診断を早く行うべきだ。
・ 今回の会議でまとめたものを、政府にも伝えていくべきだ。政府への働き掛けがなければ、無意味になりかねない。
・ 各省庁がそれぞれの責任を分かち合っている。政府のもとでの団体の支援も要する。例えば、農林省のもとにある食糧会社のシステムを活用するなど。
・ ボランティアが判断するには、ひとつのリーダーが必要となる。同じ情報のもとに働く。
・ 相互のコーディネーションが必要。
・ 政府のレベルにまで波及するので難しいが。
・ どれほどの支援が必要かは、現場には分からない。
・ AKUTしか救援隊がいないといっても、システムになっていないと、食糧運びまでしなければならなくなる。
・ 政府への影響を与えるためにも、市民教育、専門教育、知識を与えることが必要。・ 教育システムの中に、  ずっと防災教育を続けて欲しい。
何かが始まろうとしていると、感じる。
                                  以上

1999年11月12日トルコ大地震から学んだこと    中浜 慶和

                   AICAT国際協力アカデミーひろしま副代表理事
                            ダイキン工業東京支社特別嘱託

 1999年8月17日の大地震に引き続き、11月12日トルコ西部にあるボル県デュズジェを震源地として、二度目の大地震(阪神・淡路大震災と同規模のM7.2)が発生した時、わたしはイスタンブールで開催されていた国際危機管理セミナーで講演を終わり、参加者と夕食に出かけようと、ホテルのロビーで待機していた。柱の揺れを目で追うことができるほどゆったりと大きな振幅であった。わたしはみんなに急かされてホテルを飛び出した。わたしを驚かせたのは、地震の揺れではなく、翌朝のドイツの救援チームの活動であった。セミナーにドイツから参加していたTHW(NPO)のR・azebrouck氏が本国から救急支援のコーディネータに昨夜のうちに任命され、これから現地に急ぐという。彼の任務は既にドイツを飛び立っている救出、医療、食糧など様々の救援隊を調整し、適切なチームを適確な場所に一刻も早く到達させることで、彼の指令は刻々本国に伝えられ、同時にイスタンブール在住のNPOに支援を求めて、空港から直ちに現地に向かう輸送手段を確保することである。既にトルコ航空はドイツNPOのために1機を無償で出発させていた。

 次々と変化していく災害現場の対応するため、個別のNPOをしっかりと束ね、最大の成果を上げるために、何よりも先に専門的で訓練されたコーディネータを派遣(ないしは現地で見つけ出す)する。現地のNPOとは平時から訓練や研究を通して提携を図っている。ボーダレスな緊急支援体制が出来上がっていた。わが国のNPO活動もこのようなネットワークの構築が喫緊の課題である。今回の国際セミナーにわたしを招いてくれたドイツのFriedrich Ebert財団は世界76カ国(日本を含む)に活動拠点を持ち、政治、経済、学術文化全般を通じて支援活動を展開している著名なNPOである。わが国も財政的な支援に偏らず、顔の見える本当の心がこもった支援・協調体制が望まれる。今回の大地震は死者1万人を越える(BBCによる)大被害をもたらした。テレビに映ったガレキに横たわる父親の前で両腕を胸に抱えて、ひとり泣いている少女の姿を前に、一体何がわたしにできるだろうかと問いかけていた。